けし【poppy】
 花壇や野辺などでみかける赤みがかった罌粟(けし)は、一般的にこの写真の「雛罌粟(ひなげし)」で、別名・虞美人草。アグネス・チャンの「ひなげしの丘」や、宮澤賢治の『ひのきとひなげし』、夏目漱石の『虞美人草』はこれです。歌人・与謝野晶子は浮気しまくり旦那・鉄幹がフランスに旅立ったとき、そのすぐ後を追っかけ、到着時に「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコわれもコクリコ」という歌を詠みました。コクリコとは雛罌粟の仏名です。また園芸店などで「ポピー」と呼ばれる白、ピンク、オレンジなどの品種は「アイスランドポピー」などで、これもケシ属ケシ科に他なりませんが、雛罌粟もこれもアヘン成分はありません。阿片を含有する「薬用けし(オピューム・ポピ−)」の染色体は11、他は6か7。もちろん日本で阿片を含む罌粟の栽培は禁止されていますが、全種において種子に毒はなく調理用として、七味唐辛子の一つである他、アンパンの上にかけてあるのも罌粟の種子です。

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『罌粟』
(「WILD AND GENTLE」より/'03/chordiary label)

畠山美由紀
作詞 松本 隆
作曲 冨田 恵一

毒薬だね
あなたとの恋は
幸福さえ
ひび割れてしまう

胡桃のように
私の硬い心から
あふれ出す流星たちを
もう誰も遮れないわ
私は帆船になり
風に帆をふくらませ
未知の海へ

波うつ髪
溺れてもいいよ

私の愛は
ずいぶん長く錆びていた
あなたの目 ひと目見たとき
歯車が噛んで回った
生きてて一度くらい
魔法って信じたい
時があるのね

風の中 深紅の罌粟は
何色の花粉飛ばすの
生きてて一度くらい
魔法って信じたい

あふれ出す流星たちを
もう誰も遮れないわ
私は帆船になり
風に帆をふくらませ
未知の海へ

(JASRAC 出0311814-301)

 愛が憎しみに変わる、というのはよく言われることですが、これはたしかに事実ですよね。恋人が浮気したら悲しいし、その悲しみはその後ムカつきに変わるじゃないですか。嫉妬に狂うのは男も女もみっともありませんので、平然を装い仏のような顔をしたとしても、心の中では煮えたぎるでしょうが。これは恋愛に限ったことではなく、たとえば物質…というか万物に対して同じですよね。音楽の好きな若者は音楽から様々な恩恵を受けますが、その愛が強ければ苦しみも同時に背負う。音楽の才能がないと嘆くのは、音楽に愛があって、さらには音楽をする自分にも愛があるからでしょう。人間は強く愛する対象から、幸せと同時に苦痛をも背負うことになっているように思います。
 痛み、嫉妬、孤独、絶望……人生には様々な苦痛が用意されています。これがない人などきっといないでしょう。苦痛のない人生は大変理想的な人生といえますが、果たしてそんなことはありえるのか。おそらく凡人の我々には無理でしょう。なぜなら苦痛とは、先に述べた「愛」の産物であるからです。恋愛、自己愛、物質愛、仕事愛……そういった、ある種、美しいとされる「愛」の中からの産物に他ならないからです。
 恋愛における悲しみや嫉妬は、愛してこそ生まれる。苦痛がいやならば恋愛をしなければいい。極論するならそんなこともいえるでしょう。今回紹介する楽曲は、そこへの挑戦といいますか、これから始まるだろう恋愛大航海への覚悟のようなものを感じさせます。私の勝手な思い込みともいえますが、そういう意味合いもなくはない………ような。
 <毒薬だね あたなとの恋は 幸福さえ ひび割れてしまう>…恋愛に突入する前の苦痛も幸せもない平穏状態から、この恋は毒薬のように自分に幸せと苦痛をもたらすことが分かっている。胡桃のように硬く心を閉ざして、深く人を愛することなどなければ、別に毒もやってこない。けれど、この人ときたらそれもかえりみず未知の海へでかけようとしている。
 私は思います。人間が素敵なのは、こういう誤作動をおこすところではないでしょうか。どうせ苦痛がやってくるにも関わらず、でも、踏み込んでしまうという未完成ゆえの誤作動。恋愛がもたらす素晴らしい幸福を得るために、苦痛を承知で誤作動にふみきる、このかわいらしさたるや。これをここでは、自分でどうしようもないことなので「魔法」とよんでいますね。
 もしかすると、何年か後、この楽曲の女性は「やっぱり傷ついた。やっぱり恋愛なんかしなきゃよかった」と思うかもしれない。ものすごい苦痛を味わっているかもしれない。けれど、そのときはそれと同時にあったはずの幸福のことは見えていない。どんな悲しい恋愛…よく酔っぱらった女子がいう「自分はこんだけ悲しい思いをした」って自慢される恋愛でも、実は幸福はあったはず。私たちは死ぬまでに、そういう愛とそれがもたらす苦痛によってのみ、たましいが訓練されていくように思います。仮にそれが恋愛じゃなく、仕事や創作、はたまた家庭生活ってこともあるでしょう。なんにせよ、愛せば苦痛はやってくる。しかし、未来に可能性を制限されるのはつまらない。穏やかな未来を望むあまり、目の前の、今の現実をおろそかにするのは人間らしくない。たしかこのことは、岡本太郎さんもその著書の中で折りにふれていってました。
 大事なのは「瞬間の真実」。「永遠の真実」などきっとないのです。同じように私は「永遠の幸福」も「永遠の愛」もないと思っています。ただ、「幸福」や「愛」がないかというとそうではなく、幸福も愛もちゃんとあるのです。けれど、「永遠」という未来にしばられすぎると、浮気した恋人を激しく憎むような苦痛がやってきます。「ずっと一緒にいようねっていったくせに!」そんなことで、恋人を責めるのはナンセンスきわまりない。そのときそういった恋人のその気持ちが真実なんじゃないですか。それがあればいいじゃないですか。私たちが信じるべきは、今の自分。今の恋人。今の現実。過去でも未来でもなく、つまり瞬間の真実なんじゃないでしょうか。
 歴的には苦痛を取り除くための「薬」として利用された罌粟から採取される阿片。しかし、使い方をを間違えば毒薬になりえます。恋愛も自分次第で、毒にも薬にもなりえると思えるのは、私だけでしょうか。みなさん、どうか素敵な愛の人生を!

最終回
罌粟04.6.17発売「BARFOUT!」掲載