向日葵(ひまわり)【Sunflower】
写真は筆者が向日葵より小さかった頃のもので、左後ろに筆者より大きい向日葵がかすかに咲いております。
花言葉は“崇拝、敬慕、愛慕、憧れ”などなど。キク科の一年草で、8〜9月に開花。語源は“日廻り”。花が太陽を向いて咲くことからこの名前になったようです。向日葵=太陽、という認識が世界中でなされているのはこのせいです。ちなみにフランスのルイ14世は「太陽王」の名の通り向日葵を自分の紋章にしました。ベルサイユ宮殿の正門には今でもひまわりが植えられています。これとは逆に、太陽と逆を向いて咲く花もあって、その代表が“マグノリア”です。数年前にあった『マグノリア』という映画には、たしかに太陽にそむいたような人ばかり出てきました。さて、この“ひまわり”という花はミュージシャン魂をくすぐる花なのか、ものすごく多くの楽曲で登場しています。UA、大貫妙子、川本真琴、Kiroro、さだまさし、カジヒデキ、椎名林檎…まだまだありますが、書ききれません。ところで山田太一さん脚本のドラマに『丘の上の向日葵』というのがありますが、あれも“過去”と“現在”のあり方を考えようとするものでした。向日葵には“太陽”というモチーフの他に、“過去”という影モチーフがありそうな気がしてなりません。

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『昨日の少年』
SMILE
作詞/作曲:浅田信一 
(95.11.22/SME)

背よりも高い向日葵に
囲まれながら 夏は過ぎて
小さな陽に焼けた足で
あき缶けとばし 願いかける
影が伸び 空が赤く染まる
泣き虫の弟は ぼくの背中で眠る
父からもらった 陽に焼けた大きなグローブに
少しずつぼくの 左手が追いついていくのがわかる
昨日の少年は 今ここで
君を幸せにするために 唄う

道路を挟む銀杏の樹に
身体をあずけて 冬を止めて
手先に染み込む北風に
追いかけられて 夢を語る
風が吹き 頬が赤く染まる
大切な友だちは ぼくと共に歩く
母を心配させた 右膝につくったすり傷は
少しずつぼくの 身体から消えてみえなくなる
昨日の少年はいつまでも
君を幸せにするために 唄う

(JASRAC出0309615-301)

 

 BARFOUT!フリーペーパー版『LAUGH-OUT!』に、歌詞の中に見られる“植物”の生き様についての雑文を書きましたところ、まかり間違って本誌にも登場することになりました。…いんですか! 相当くだらないですよ! だって音楽の中の“歌詞”に注目しつつ、しかも“植物”っすよ! え〜〜! 野暮くせ〜〜! ドンくせ〜〜!…というわけで今月から、毎月毎月かなりのドンくささで、ドンくさい駄文をお届けいたします!
 さて人間の一生の中でもかなりのドンくささを誇るであろう“結婚”という大行事。“一生いっしょにいてくれや〜〜♪”“幸せになろうよ(屋根の上で)〜〜〜〜乾杯、今〜〜♪”“ま、ちょと、覚悟はしておけ〜〜”……ドンくせえ〜〜〜! 死ぬ程ドンくせえ! けど、売れる! 音楽ビジネスにおいて結婚を匂わすと確実に売れる! みんな、そんなに永遠が好きか? 好きなのか? かの岡崎京子先生は著書の中で登場人物に「恋愛の存在は信じるけど、恋愛の永遠は信じない」と言わせておられました。如意! かなり如意! あたしもそう思うっす! でも、だいたいの人間はその時点の恋愛を永遠と思いたい癖があります。この状態がずっと続くことを夢みます。そして、そのかたまりのような行事が“結婚”であります。「じゃあ、お前はどーなんだ!」と言われそうなので最初にいっときますが、あたくしめも実は結婚しとります! おい! 矛盾してんじゃん! だはははは!
 で、ここで問題になるのが『昨日の少年』でありますよ。そして“向日葵(ひまわり)”でありますよ。まず、この楽曲の歌詞はいかなるものなのか。
“背よりも高い向日葵に囲まれながら 夏は過ぎて”………いきなりもうここで向日葵が出てきます。背よりも高い向日葵…日本人成人男性の身長をまったくの憶測で170センチくらいとするならば、それよりもデカイ向日葵は171センチ。…あります。たしかにそういう超ビッグサイズの向日葵もあります。また巨匠ゴッホの描いた向日葵のように卓上花瓶に活けられる、つまり切り花扱いできる小型の向日葵もあります。ただし、”向日葵”といわれて想像するのは、炎天下にそそり立つ入道雲の似合うあれですよね。ということは、背よりも高い向日葵に囲まれて過ぎる夏というのは、楽曲中の“ぼく”がまだそういう向日葵より背丈が小さかったときのことを指すだろうことが予想されます。だってその後には“小さな陽に焼けた足であき缶けとばし”たりもしてますから…。最初に向日葵に囲まれる風景をバーーンと見せておいて、あき缶をけとばしたり、影が伸びで空が赤くそまったり、さらには泣き虫の弟がぼくの背中でねむったりする。過ぎたどこかの地点のある夏。ザ・叙情! ド・叙情!
 ただし、この歌詞の核心はそこではありません。前半で過ぎし日のド・叙情を見せつつ、“父からもらった 陽に焼けた大きなグローブに少しずつぼくの 左手が追いついていくのがわかる”と、中盤になると少しづつ今に時間軸が移動してきます。そしてさらには“昨日の少年は 今ここで君を幸せにするために 唄う”と、最後にぼくは完全に“今”に戻ってきます。過去→現在。この楽曲の中で時間はこのように変化します。もうお気付きと思いますが、ここには“未来”がありません。向日葵よりも小さかったぼくが、今ここで君を幸せにするために唄ってる。それだけです。明日はどうか知らんけども、今は唄っている。
 さあ、みなさん、これをどうとらえますか。この楽曲の中のぼくは誠意がありませんか。未来永劫君のために唄うといわないぼくには誠意がありませんか。私はちっともそう思いません。向日葵より小さかったぼくが、その後いろんなことがあって、いろんな人に会って、いろんなことを考えて。でも、今、この時点はきみのためにその過去と現在を、きみのために唄いますよ、と。きゃん!すてち! 私がこの曲を初めて聴いたとき「これは結婚の曲だ!」と思い込んだのはそのせいです。“一生大事にする”とか“死ぬまで一緒にいよう”とか“必ず幸せにする”とか。未来に対して人はなんぼでも“言いっぱなし”ができます。でも、そんなことってありえるのかなあ。ありえたとしても、それ、大事なことかな。大事なのは、今どんくらいきみのために唄ってるかじゃなくて?
『昨日の少年』=結婚の曲。わ! 独断すぎ! 浅田信一さんは、絶対そんなこと考えてないって!……というのが大方の意見でしょうが、まあ、音楽はどんな聴き方してもいいっすよね。
 今、これを読んでおられる向日葵と同じか、向日葵より大きくなられたみなさん。あたなたは、今、誰のために唄いますか?………ぎゃん! ドンくせええ! はっず!! 書いてることがドンくさすぎて、めまいがしてきましたので、向日葵よりデカいかき氷りください! もちろん“全部のせ”でよろしく!

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vol.2
向日葵03.8.17発売「BARFOUT!」掲載