家で仕事をしていますと、宅急便のドアピンポンで目覚めることがよくあります。宅急便会社は数多くありますが、その内のどうやら配送時間帯が午前中の割と早い時間なとこが数社あるようなのです。いやそれ以外の普通世の中は起きているであろう午後の時間帯であっても、たとえば徹夜で原稿を書いたりして朝方やっと寝たようなときに限って宅急便は届きがちであります。昏睡しているところにドアピンポン。そして我々は“産まれたて”の姿を宅急便のお兄さんたちにさらすのです。睡眠中に分泌した皮脂で顔はピカピカ、目ヤニがビッシリすぎて半分しか開かない寝ボケまなこに、どうやったらその形になるかという前衛的な寝グゼのついた髪型。実家に帰ったときに「寒いからなんか着るもん貸して」と母からかりてそのまま持ってきてしまった“Destiny”とかいうわけのわからないロゴのついたトレーナーを“たまたま”着ていることもあるでしょう。私などはさらにド近眼であるため、コンタクトレンズを入れていない起き抜けに宅急便のサインをする際は伝票に顔を3センチという近さまで近づけねばなりません。アホみたいです。つーか、アホそのものです。これほどまでに“産まれたて”な姿をこんなみずしらずの他人に見せていいのでしょうか。どう考えてもホヤホヤの湯気が出ています。胎液でビショビショだし、ヘソの緒はもちろんまだ付いてる。そしてなんといっても全裸です。私の友人の間では、この“宅急便は寝ているときに限って届く”という説はかなり一般的で、“いかにさらした姿が産まれたてだったか”の武勇伝にはことかきません。
例によってその日も私はかなり産まれたてのボンヤリ姿を行きずり他人にさらした後、コンタクトレンズを入れずにボンヤリまなこでテレビをつけました。テレビから流れてきたのは女性の華奢なウイスパーボイスによる<Learn
from us very much.(わたしたちからよく学んで)>という歌詞。「ん〜〜〜、わたしたちから超学べ? very much? なんじゃそら! わはははは!(ボンヤリ)」。<Look
at us but do not touch.(わたしたちを見て、でも触れないで)>。「“見てるだけ〜〜”? たんすにゴン? がはははは! 古っっっ!(ボンヤリ)」。<Phaedra
is my name.(わたしの名前はファエドラ)>。「え、ちょっと待った! ファエドラって、あのファエドラのことか???(突如、覚醒!)」。
ファエドラという固有名詞で、私はやっと意識を取り戻しました。すぐさま真水で顔を洗い、ワンデーアキュビューを装着! この作業にかかった時間、約30秒。数分前にヨロヨロと宅急便を受け取っていたものとは思えない、まるで軍隊で鍛えたような段取りの早さでした。 産まれたての世界から一気にカリッカリの画素数へ。<Flowers
growing on the hill.Dragonflies and daffodils.(花が丘に咲き トンボとラッパ水仙)>。「やばい! この人たちは、とてもヤバイことを歌っている!」。<Flower
are the things we knew.Secrets are the things we grew.(わたしたちが知るのは花のこと。わたしたちが育むのは花の秘密)>。「わ〜〜〜! ヤバイ! ヤバすぎ!!!」 コンタクトレンズを入れたからといって、いまだ前衛寝グセと母親発商店街ファッションを身にまとったオンボロ女です。そんな女がオロオロとあわてふためき、テレビの前でスリラーダンスの偽物みたいなウロウロ歩きをしたのにはわけがあります。
まず<Phaedra:ファエドラ>。これはギリシア神話に出てくる義理の息子に恋をする人妻です。自分の旦那が他で作った子供に“間違って”惚れてしまう女子なのです。この人妻は意を決して義理の息子にコクってみますが見事にシカトされます。傷心の人妻はシカトされたことを根に持って、自分の旦那に「あんたの息子があたしにとんでもねえこと(陵辱)したから死にます」と嘘の自殺理由を書いた遺書を残して自殺します。それを見た旦那は激怒して、義理の息子を死に追いやるわけです。こっわ〜〜〜〜〜! 死ぬなら余計なことしないで、勝手に死ねよ!
そして、追い打ちをかけるように登場する<Daffodils:ラッパ水仙>。水仙は普通英語でナルシストの語源にもなっている<Narcissus(ナーシサス)>といいますが、ラッパ水仙のことは<Daffodil(ダッファディル)>と区別します。語源はやはりギリシア神話で冥界に咲く花<Asphodil(アスフォディル)>。冥界神が大地神の娘を誘拐するときに娘が頭に飾っていたのが<Narcissus:水仙>で、冥界の神がこれにふれたとたん<Daffodil:ラッパ水仙>に変わったという話もあります。古代ギリシアでは水仙を植えて寺院を飾り、葬儀には必ずこの花を用いたというし、花や実りの少ない冬を死の世界にたとえるならば、晩冬のまだ雪もあるような時期に春一番乗りで可憐な花を咲かせる水仙はなんだかあの世からやってきた妖精のようにも見えます。とにかく冥界とか死に関係の深い花であることは、いろんなとこで見受けられるわけです。ちなみにラッパ水仙から出る液汁には刺激物であるシュウ酸カルシウムが含まれており、ラッパ水仙と一緒に他の花を花瓶に入れておくとこの液汁で枯れてしまいます。こっわ〜〜〜〜〜! 死ぬなら一人で死ねよ! 日本では戦時中の食糧難の時代に、玉葱と間違って水仙の球根を食べてしまった娘さんが中毒を起こして死んでしまった事件もあったとききます。おっかね〜〜〜〜〜! 腹へっても、それは食べちゃダメ!
以上の2つをまた強引にこじつけますと、この曲を“道ならぬ恋の教訓歌”であるといったら言い過ぎでしょうか? また妄想のしすぎでしょうか? 道ならぬ恋=不倫の丘で咲いている花はラッパ水仙=死&あの世。半端ないエクスタシーを得られる道ならぬ恋は、結婚で一度死にかけた人間に再び生きる喜びを味あわせるとともに、当事者にはラッパ水仙を咲かせる。<わたしたちからよく学んで。わたしたちを見て、でも触れないで> 20代の頃、不倫をしている友人というと主に“結婚している男性と付合っている”パターンでしたが、ここ最近はこれと逆のパターンも見受けられるようになりました。つまり“旦那が他の女と付合ってる”パターンです。友人たちの悩みが微妙に変化してきたのは自分の年齢が知らぬまに重なっていたからでしょう。しかし、どっちにしろ結婚しているくせに妻以外の女性と恋愛をする男性は限りなく100%に近い確率で妻とは離婚しません。付合い始めの頃は「うまくいっていない。必ず別れる」と、これも限りなく100%に近い確率で言いますが、付合いが長くなればなるほど、なぜだか“妻も彼女もどっちも好きだから”的心情をあらわにし、あわよくばどっちともうまくやっていくことを望むわけです。つまり離婚しない。そんなことを妻側も彼女側も許すはずがありません。かくして戦場は泥沼と化します。<わたしたちからよく学んで。わたしたちを見て、でも触れないで> この花は、妻と彼女両方の面倒をみられるおそろしく甲斐性のある男性か、甲斐性をみてもらわなくても純粋に恋人を愛しどんなことがあっても笑顔でいられる如来様のような女性でなければ触れてはいけない花なのかもしれません。一夫一妻が絶対で「不倫はちょうダメっす!」となっていたはずの中世キリスト教美術の中に水仙がないことも、なんだか象徴的に思われてきます。
<Some velvet morning when I'm straight.I'm gonna open up your gate.(ぼくがシラフのあるベルベットな朝に、きみの門をひらこう)>。死の世界(睡眠中)から産まれたての、シラフすぎる私を起こしたドアピンポンが運んできたものは、ラッパ水仙という可憐にしておっかなく、純粋でありながらも憎悪と執念に化してしまったファエドラの道ならぬ恋が教える“不倫をするなら覚悟してからしろソング”。痛いことにラッパ水仙の花言葉は「報われぬ恋」。顔を洗ってコンタクトは入れたものの、いまだ前衛寝グセと母親発商店街ファッションをである、この曲からかなり遠い存在であろう私が、したり顔で「ラジャ〜!」と意を得ている姿はそれこそ産まれたてであり、誰かに見られたら本気で死にたくなるような全裸そのものでありました(心の)。すいません、今からパンツくらいはこうと思います(心の)。